「「アバター」という映画をテレビで見たけど気持ち悪かったな。どうして今の若者はこういうのを好きになるのか分からない」と爺さんはいう。
「興業成績一位とか言ってましたよ。やはりアニメの世界は、彼らの夢の実現ですから。」
「昔、裕次郎の映画をみて、映画館から出てくる若者はみんな肩を怒らせて歩いていたなあ。裕次郎が乗り移るんだよ」
「一種のアバターになったつもりなんですね。今は、インターネットやゲームの仮想世界で自分の分身をつとめ、活躍するキャラクターのことを指しています。」
「仏教では、真の世界の存在が、仮の人間界に現れる姿を、アバターラといい、権化とか化身とかに相当する」爺さんは大分勉強したようだ。
「現在われわれの住んでいる世界が仮想世界で、キリストやアラーの神の分身がキリスト教徒やイスラム教徒という訳ですか?」
「ヒンズー教では、ヴィシュヌ神が10のアバダーラを創造した。この世のゴーダ・ブッタのその一つの分身に過ぎない。現世と信じるこの世でさえも、なんだかわからない。」爺さんは両手を広げ、岡本太郎の古いギャグをいった。
「すると、小説や映画の主人公もすべて作者のアバターという訳ですね。」
「その通り、そう考えると、いじめによる自殺とかアルジェリアのテロとかは、小さな世界の些細な出来事であるということになる」
「すると、センター試験の問題やナンプレ・パズルもすべてアバターということになるのですかね」
「なくて済むものはすべてアバターなんだ。わかるかな。わかんねぇだろうなぁ。」爺さんはまた古すぎて誰もわからないギャグを持ちだした。
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